ウミネコと津波被災地
ウミネコに絡めて多少は被災地の様子を。
泊まった南三陸町のホテルは、太平洋に面する岩場の上に建つ10階建の建物ですが、国道側から入ったフロントある階は、5階でした。高い岩場の上が幸いして、津波の大きな被害は免れ、震災当日から南三陸町の救援・復旧の拠点の1つになったとのこと。
ホテルの部屋からはウミネコの飛び交う太平洋が望めます。人が窓際に近寄ると、直ぐにウミネコがやって来て、ベランダに降り立ちます。部屋から餌をあげる人が多いのでしょう。
ウミネコの向こう側は、津波報道で有名となった南三陸町志津川の市街地です。双眼鏡で覗けば、幾つかのビルを残して更地になった町の様子が望めます。
車で5分と走らずに志津川の市街地跡に到着します。
手前の赤い鉄骨は、最後まで津波避難放送を続け、多くの方が亡くなった南三陸町の防災対策庁舎の跡です。祭壇が置かれ、お参りに訪れる人が絶えないようです。奥の白い建物は志津川病院です。ここでも入院患者の多くが亡くなりました。
北上して気仙沼市に入ると、港の中にウミネコの島があるのに気付きました。蔵内港の弁天島と言うところで、島全体がウミネコの繁殖地となっています。
この島は高さが10m程しかないので、島全体が津波に襲われたものと思われます。以前はどんな感じだったのでしょうか?
高田松原の奇跡の1本松。
数万本の松で見事な松林を形成していたとのことですが、その面影はまったくありません。それに、この松も上の葉は枯れて、復活は難しいように思われました。
更に北上すると大船渡です。大船渡の市街地へ行く前に、碁石海岸に立ち寄り、しっかり観光です。
碁石海岸の穴通磯と呼ばれる景勝地です。遊覧船に乗ると、この穴の中を通り抜けるらしいです。
ここは、大船渡湾の入口にあたり、左手奥から右に数キロ入った所に大船渡の市街地があります。大船渡の市街地も更地が広がっていましたが、その中心地に屋台村や復興居酒屋が出来ていました。
残念ながら寄れませんでしたが、たくましさを感じました。でも、本格的な復興はまだまだこれからです。「がんばっぺし」 これはお店の名前です。
南三陸町~気仙沼~陸前高田~大船渡
(2012.5.2)
« ピリリッ!と辛いサンショウクイ | トップページ | キアシシギの魚捕り »
コメント